2022年9月19日月曜日

女性名の男性

 フランス人の名前には複合名がある。ジャンポール・ゴルチエとかジャンリュック・ゴダールとか。これはジャンポール!とかジャンリュック!と呼ばなきゃならないのか。ジャン!はだめなのか。枢機卿殿もアルマンジャンだが、署名にアルマンしか書いていないのをいくつか見た。本人次第ということかな。それともジャンがあまりにもありがちだから二つつけないと区別がつかないとか。

国民戦線のジャンマリー・ルペンはル・ペンだそうだが、そこではなく、ジャンマリーのマリーは女性名。でも先頭がジャンで男性名だからOKなのだそうだ。

ところが、先頭の名前が女性の男性がいた!

枢機卿殿がローマへ行ったときに司教に叙階してくれたジヴリ枢機卿の名は、「アンヌ・デスカール・ド・ジヴリ」だった!(デスカールは姓)

さらに枢機卿殿に処刑されたモンモランシー公のおじいさんが「アンヌ・ド・モンモランシー」だった!

昔は男性もアンヌでOKだったのかー。

2022年9月16日金曜日

洗礼のタイミング

 1585年9月9日に生まれて、1586年5月5日に洗礼を受ける。99と55。そこじゃなくて、9か月も洗礼を受けない。生まれてすぐに洗礼を受けさせなくちゃと焦るわけではないと。病弱だったならなおのこと。下手したら洗礼を受けずに亡くなってしまうかもしれないのに。

トレント公会議でできるだけ早く洗礼を受けさせるようにと決定された。しかし昔は(リシュリューの時代よりもっと昔)洗礼自体、慌ててするものでなく、すんごい田舎の村などは洗礼させる資格のある司祭が来た時にまとめてみんなする、というスタンスだったらしい。

とすれば、古い感覚の家庭なら慌てて洗礼しなくても、乳児の状態が落ち着いてから、きちんと準備をしてやりましょう、ということか。リシュリュー城で生まれたからパリまで運ばれて洗礼を受けた疑惑もあったが、リシュリューパリ生まれで決着がついたということか。

参考:フランソワ・ルブラン. アンシアン・レジーム期の結婚生活. 藤田苑子訳. 慶応義塾大学出版会, 2001

2022年9月14日水曜日

【更新履歴】リシュリューの人生

 「リシュリューの人生」ページに1585年から1608年までの詳細ページを追加。用語集を設置。

タローとジローとシロー

更新ではないがメモメモ。

リシュリュー家の系譜(Histoire généalogique et chronologique de la maison royale de France)を読んでいたら、祖父のルイの肩書に"seigneur du Chillon"があった。これがアルマンジャンが軍事学校で名乗っていたシヨン侯爵かと思ったが、字がつぶれていてChillouにも読める。

父親のフランソワの代を見ると、"seigneur de Chillou"になっていた。ではChillonはどこから? も気になるが、"シニョール ド シロー"? シローがいた! フランス人の苗字にはタロー、ジローがいるが、シローもいた!(シヨーかもしれない)

"Chinon" シノンは1630年ころにリシュリューが領地を手に入れているが、"シノン"侯爵ではないのだよな。シヨン侯爵。名乗ったもん勝ちなのかな。

2022年9月9日金曜日

ホームページ開設

 開設にこぎつけた! コンテンツは少しずつ追加する予定。plalaのホームページがhttps対応でないのが痛い。今日は菊の節句、重陽の日。そしてリシュリューの生誕437年。

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