1585年9月9日に生まれて、1586年5月5日に洗礼を受ける。99と55。そこじゃなくて、9か月も洗礼を受けない。生まれてすぐに洗礼を受けさせなくちゃと焦るわけではないと。病弱だったならなおのこと。下手したら洗礼を受けずに亡くなってしまうかもしれないのに。
トレント公会議でできるだけ早く洗礼を受けさせるようにと決定された。しかし昔は(リシュリューの時代よりもっと昔)洗礼自体、慌ててするものでなく、すんごい田舎の村などは洗礼させる資格のある司祭が来た時にまとめてみんなする、というスタンスだったらしい。
とすれば、古い感覚の家庭なら慌てて洗礼しなくても、乳児の状態が落ち着いてから、きちんと準備をしてやりましょう、ということか。リシュリュー城で生まれたからパリまで運ばれて洗礼を受けた疑惑もあったが、リシュリューパリ生まれで決着がついたということか。
参考:フランソワ・ルブラン. アンシアン・レジーム期の結婚生活. 藤田苑子訳. 慶応義塾大学出版会, 2001