「リシュリューの人生」1623-1630年の詳細ページに「ユグノーとラ・ロシェル攻囲戦」追加。
苛酷な戦いでした。補給を断って包囲を徹底させる。城塞から抜け出そうとする者にも容赦はない。飢えと病気が蔓延し、人口が半分に減っても抵抗し続けようとする人々。降伏しても聖バルテルミ虐殺事件の二の舞になると恐れてのことだとか。
リシュリューはリュソン司教時代にユグノーとの接触があり、近隣のユグノーの有力者とも連絡を取り合っていて、当時から宗教的な衝突を回避しようとしていました。改宗させることの難しさも知っていたのでしょう。
しかし彼の権力基盤はまだ盤石ではなく、フランス王権もまだ弱かった。国内外に問題が山ほどありながら、足をひっぱられ身動きできなくなることは避けたい。とにかく徹底的に戦う必要がありました。
軍人教育を受けていたことが役に立ったでしょうか。彼自身、軍人でありたかった気持ちもあったかもしれません。鎧を着こんで馬上で指揮をとったくらいですから。彼の名前アルマン(Armand)には「軍の」という意味も含まれているそうです。
しかし弱音を吐くこともありました。ジョゼフ神父には「負けるかもしれない」と。この友人は叱咤激励しました。
ともあれ彼は勝ちました。そして国内のユグノー問題を一掃し、はっきりと目に見える戦いと勝利で国王ルイの信頼も高まったでしょう。ラ・ロシェル攻囲戦での勝利はリシュリューの人生で輝かしい業績として残ったのです。